掃除

内田 樹さんの文章から「掃除」について考える。

先日、掃除とは何の関係もない本。

内田 樹さんの『もういちど村上春樹にご用心』を読んでいた時に。

『もういちど村上春樹にご用心』はこちら

ふと突然に掃除についての文章に出会いました。

その文章の中には、

「掃除についての全てが詰まっているな」

とても感銘を受けたので、今回は内田 樹さんの文章を紹介して「掃除」について考えます。

内田 樹さんの「掃除」についての文章

まずは内田 樹さんの文章を引用してご紹介します。

掃除というのは、本来的にむなしいものです。一回掃除をすれば、そのままずっときれいということはあり得ない。してもしても気がつかないうちにまた汚れて、築いたはずの秩序が崩壊していく。掃除はエンドレスなんです。襲いくる無秩序に対し、一時的に押し戻すことしかできない。でも、掃除をしている瞬間だけはいっとき宇宙に広がる無秩序に対して、局所的な秩序を形成することができる。ですから、「掃除をする人」というのは、その非冒険的な相貌とは裏腹に、人類に課せられた「局地的に秩序を生成するためのエンドレスの努力」の重要性を理解している人なのです。

もういちど村上春樹にご用心 (文春文庫)

この文章の全部が掃除に対して重要だと思うのですが、特に気になった文章をピックアップします。

掃除というのは、本来的にむなしいものです。

もういちど村上春樹にご用心 (文春文庫)

覚悟を決める上でいい文章だと思います。

「今日は掃除やる気しない」

「こんなに部屋が汚れていて、一体いつ終わるんだろう?」

「みんな遊んでいるのに、何で私だけ掃除しなければいけないの?」

など掃除をしようと思った時にはマイナスの感情が心に浮かび上がってきやすいです。掃除が好きな私ですら時々上記のような気持になるので、好きではない方は、なおさらだと思います。

「むなしい」という気持になった時に、もともと「掃除というのは、本来的にむなしいもの」と知っておくのは覚悟が決まります。「やるしかない」んだと。

襲いくる無秩序に対し、一時的に押し戻すことしかできない。

もういちど村上春樹にご用心 (文春文庫)

これも本当にそう思います。

昨日も洗面所の掃除をしました。掃除が終わった瞬間は「何てキレイになったのだろう」と自分でも見惚れてしまいました(笑)

洗面所の掃除は以下の記事を参考にして下さい。

でも、この瞬間がマックスにキレイで、この後からは汚れていくんですよね。

夏場に汗ダラダラたらして一所懸命掃除してキレイになっても、まさに「一時的に押し戻すことしかできない」

むなしいものです。

でも、掃除をしている瞬間だけはいっとき宇宙に広がる無秩序に対して、局所的な秩序を形成することができる。

「掃除をする人」というのは、その非冒険的な相貌とは裏腹に、人類に課せられた「局地的に秩序を生成するためのエンドレスの努力」の重要性を理解している人なのです。

もういちど村上春樹にご用心 (文春文庫)

大事なのはここですよね。

「掃除をする人」というのは、局所的な秩序を形成することしかできないことを知っているんですよね。

そして、何度汚れても「局地的に秩序を生成するためのエンドレスの努力」を継続する。

私の知り合いでも文句も言わず黙々と掃除をする人が何人かいますが、その人たちは「エンドレスの努力」の重要性をきっと知っているんだろうなと思います。

「エンドレスの努力」の重要性は、一人一人考えることが違うと思いますので、ぜひあなたも考えてみて下さい。

内田 樹さんの「掃除」についての文章を読んで思ったこと

このブログの他の記事で紹介している通り。

掃除や整理の知識を身に着ければ、楽に行うことはできるようになります。

でも、どんなに頑張っても、必ず汚れる。

何度汚れても、繰り返し「やるしかない」と掃除に立ち向かっていく姿勢が大事なんだと思います。

そして、今、文章で書いているように「カッコイイ」ものではないことも。

どんなにカッコイイ文章を書いても、また再び汚れた部屋を目の前にして、掃除をしなければいけない場面が目の前に現れたら。

「掃除やりたくないなー」

と自分のむなしい気持ちと向き合わなけれないけません。

それでも、エンドレスの努力を。